第一次① <戦後、日本はどのように変わったか>
○比較資料を提示
【国立競技場の様子 1943年「学徒出陣」⇔「1964年東京オリンピック開会式」】
(用意する写真は同じようなアングルが良いと思います。東京オリンピック1964開会式はカラーの方が好ましいです。)
【新宿の様子 1945年「焼けた新宿」⇔1964「発展した新宿」】
(写真は東京書籍の教科書から使用)
・戦争の終わり際や終わった直後と戦後19年後の様子が全然違う
<戦争中から戦後の日本はどのように変わったか>
(資料から読み取ったことから、解釈を交えて話していく。)
【国立競技場の様子の変化】
- 険しい顔で銃を持っていたのに、旗を振ってスポーツの大会であるオリンピックを開いている。
- 自由、平和になった。
- 新しい法律ができたのではないか。
【新宿の様子の変化】
- 1964年の方にはローマ字が見える。
- 外国との関わりが良くなったのではないか。
- 焼野原で殺風景だったのに、ビルがたくさん建っている。
- 車も増え、町がきれいになっている。
- 技術の発展がしているようだ。
(発言をまとめ、これから学習していくための視点を整理する)
○当時の国際オリンピック会長はこんな言葉を残したようです。
時のIOC会長ブランデージ氏をして、「見事に最高級のオリンピック大会を開催した」とまで言わしめたのであった。
出典 nippon.com 1964 TOKYOから50年、あのときとこれから(https://www.nippon.com/ja/column/g00213/)
・国の中心が焼野原だった国がたった19年で素晴らしいオリンピックを開けたのはどうしてだろう。
1時間のまとめと単元を貫く大課題
戦後の日本は①国内での国づくり、②外国との関係づくり、③産業の発展という変化がありそうだ。これらがオリンピックが開催できたことと関係しているのではないかな。
《日本はなぜたった19年で大きく発展し、オリンピックを開催できたのか》
第二次① <日本はどのような国づくりをしていったのか>
○今まではどんな国だったかな。
- 男女の差があった
- 選挙も行われていたけど、不平等だった
- そもそも大日本帝国憲法が力をもった人たちに都合の良いものになっていた(内容も確認)
(ここでは国民よりも政治家や軍部が国を動かしやすいように一部の権力者に都合の良い国であり、国民にとってはあまり良い国ではなかったという認識をさせる。その後の板書も戦中と戦後を対比させながら書く。)
<日本はどのような国づくりをしていったのか >
・きっと大日本帝国憲法とは違って平等になったのではないかな。
○教科書や資料集の資料からどんな国づくりが行われたのか考えましょう。
【女性の参政権】
21歳になっていた私は、初めての選挙を体験しました。ですが、当たり前のことをしていると思って、そのときは取り立てた感想はありませんでした。でも、知り合いの方は、大切にしまっていたもち米と小豆でお赤飯をたいて、お祝いしていらっしゃいましたよ。
その方は10代のむすめさん2人に「今までの日本は、女の人は参政権もなく、財産権も持てなかった。男中心の社会の下積みとして差別されていたんですよ」と、女性が男性と同じように選挙ができるようになった喜びを、語ったそうです。
出典 HugKum 【10月31日は衆議院選挙】初めて女性が選挙権を得たのは75年前。当時「男女平等普通選挙」で投票した女性が語る思い(https://hugkum.sho.jp/295158)
(必要に応じて上記のような当時の人の声を資料で提示)
- 男女が平等になった。女性の人たちはとても喜んでいたようだ。
- 現在のように民主主義が始まった。
- 偉い人ではなく、男女関係なく本当に優秀な人材が活躍できるようになる。
【日本国憲法の制定】
- 今の日本国憲法ができた。
- 公民で学習した国民主権、基本的人権の尊重、平和主義だ。
- 一人一人が平等になる。
【学校教育の変化】
- 教科書の戦争に関わる部分がなくなった。
- 戦争から遠ざかって考え方も平和になる。
○このような国の様子を見て、日本はどんな国になったと言えますか。
- 国民が大切にされて、国民にとって安心できる国になった 。
1時間のまとめ
日本は一部の力を持った人たちのための国ではなく、国民が安心できるような国づくりをしていった。
(このような国づくりをすることで、外国から認められる、産業の発展が加速するなど次の視点とつなげられる児童がいたらステキですね。)
第二次② <日本と外国との関係はなぜ回復したのか>
○戦争中の外国との関係はどうだったかな。
- 太平洋戦争でたくさんの国と戦争していた。
- 日本はアメリカに対して真珠湾攻撃で奇襲をした。
- 決して良い関係とは言えない。
○みんなだったら、この前まで戦争していた相手と仲良くできますか。
- すぐにはできないと思う。
- どうして日本と外国は仲良くなれたんだろう。
<日本と外国との関係はなぜ回復したのかな>
○教科書や資料集の資料から日本と外国が行われたのか考えましょう。
【 サンフランシスコ平和条約】
- 戦争をしないと決意した。
- 国際的地位の向上につながった。
- 外国との対等で平等な関係を作ることになる。
【日米安全保障条約】
- 特にアメリカと仲良くすることになった。
【日ソ国交正常化】
- 力のあったソ連とも国交を回復できた。
【国際連合への加盟】
- 外国と協力し合える組織に入ることで信頼されるようになる。
- 自分の国のことだけではなく、他の国も大切にしようと思っていたのではないか。
1時間のまとめ
日本と外国との関係が回復したのは、条約を結ぶ、国際組織に入るなどして国際社会からの認められるようになったからだ。
第二次③ <戦後の日本の産業はどう変わっていたのか>
○戦争中はどんな産業が多かったかな。
- 寺の鐘まで使って銃を作っていた。
- 会社も軍の言われた通りに自動車を製造しなくてはならなくなったらしい。
自動車産業でも、物資動員計画のもとで部品や資材が配給制となっていった。1941年、自動車統制会が設立される。会の目的は、自動車の製造と販売に関し、政府の国策の立案、遂行に直接協力することにあった。自動車工業を能率的に運営して優秀な自動車を多量に安く生産するという触れ込みだったが、これによって民需はほとんど消滅し、軍部の要請のままに自動車を製造しなくてはならなくなった。
出典 GAZOO 軍用車から乗用車へ(1941年)(https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/04/25_1/ )
(戦争中は産業も国家総動員法をもとに国の軍備のために動いており、国家が最優先だったことを確認する。調べた戦後の内容と対比しながら板書をする。)
<戦後の日本の産業はどう変わっていたのか>
○教科書や資料集の資料から日本と外国が行われたのか考えましょう。
【三種の神器】
- テレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及して、国民の生活は向上した。
- 戦争中だとテレビを見るなんて考えられない。
【重化学コンビナート】
- 軍備ではなく生活に必要な物を作られるようになった。
【高速道路と東海道新幹線】
- オリンピック施設の材料の輸送、選手の移動ができる。
- オリンピックを開催する上で欠かせない。
【金の卵】
- 戦争中は学徒出陣など若い人は戦争に行かされたが、自分の好きな仕事をすることができるようになった。
- 開発だけではなく、それを進める国民の努力があった。
1時間のまとめ
軍備に力を入れていた戦中に比べて、戦後の日本は国民の生活を良くするため、オリンピックに成功させるための産業になっていった。
第二次④ <どうして田畑さんは坂井さんを最終ランナーに選んだのか>
- 民主的な国づくりをして、外国との関係もよくなって、産業も国民のためになった。オリンピックの準備は万端になった。
- いよいよ東京オリンピックの開会式だ。
(聖火リレーの最終ランナーが競技場に入ってくる開会式の動画を見る。)
○この最終ランナーは誰だと思いますか。
- 東京オリンピック2020は大坂なおみ選手だったから、1964の時も選手の一人かな。
(名前と写真を提示)
- きっとただの選手ではない。何か秘密があるはずだ。
(1945年8月6日、広島県で生まれたことを明らかにする)
- えーっ!広島に原爆が落とされた日だ。
坂井さんを最終ランナーにすることに対して、良く思いますか。
(「思う」、「思わない」で挙手させた上で思わない児童のみの理由を聞く。「思う」児童の話を聞きすぎるとこの時間の核心に迫ってしまうので、あえて聞く必要はないと考える。)
最終ランナーには1945(昭和20)年8月6日、原爆が投下された日に広島県内で生まれた早稲田大学の陸上競技選手・坂井義則が選ばれた。
このときも会議は紛糾した。
「原爆投下の日に広島で生まれた若者では……アメリカが悪い感情を持つのではないか」という意見が多かったのだ。
出典 書籍「ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治」
- やはり反対されていた
- なのにどうしてわざわざ坂井さんを最終ランナーにしたのかな。
(最終的に選んだのは田畑政治(まさじ)さんだということを伝える)
<どうして田畑さんは坂井さんを最終ランナーに選んだのか>
(児童の考えを聞きながらカテゴリー化していく。)
日本国民のため
- 国民に原爆を恐ろしさを忘れてほしくないから。
- 国民に復興したことを伝えて元気づけるため。
外国に発信するため
- 外国に原爆を落とされた日本が復興したことを知らせるため。
- 外国に強い日本をアピールするため。
(田畑政治の言葉で検証する。)
田畑は強い口調で言った。
出典 書籍「ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治」
「われわれが憎むのはアメリカではなく、原爆そのものです。アメリカでもソ連(ロシア)でも中国でも、原爆はやめてもらいたい。アメリカにおもねるために原爆に対する憎しみを口に出せない者は、世界平和に背をむける卑怯者だ!」
1時間のまとめ
田畑さんは坂井さんを最終ランナーに選んだのは、外国に世界平和の大切さを伝えるためだった。
第三次① 《日本はなぜたった19年で大きく発展し、オリンピックを開催できたのか》
(大課題の3観点 ①国内での国づくり、②外国との関係づくり、③産業の発展 をもとに大課題について考える。)
《 日本はなぜたった19年で大きく発展し、オリンピックを開催できたのか 》
(オリンピックを開催する上で最も重要だと思ったものを挙げさせる。)
①国内での国づくり
- 女性が参政権を得たことで、東洋の魔女と呼ばれるように女性も堂々と競技に参加できるようになったと思う。オリンピックには男女平等は必要だったのではないか。
②外国との関係づくり
- 外国との関係が良くならないとオリンピックを開けるはずがない。もう戦争をしないと宣言したサンフランシスコ平和条約はとても大切だったと思う。
③産業の発展
- 競技場を作れないと競技ができない。新幹線も選手が移動するのに必要不可欠だったと思う。
( ①~③ の3つの視点の内、オリンピック開催できたことに最も大切だと感じたもの決めさせて、レポートに考えを書かせる。友達の考えを聞いて、自分の考えに友達の考えを付け加えた、自分の考えを修正したりさせる。)
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